ふなこしてつや ホームページ
http://www.geocities.jp/tetsuyafunakoshi/
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展示の度に、会場にパステル画材を持ち込んで開いている「体験教室」ですが、
もともとはパステルに興味を持つ大人向けの場として解放していました。 それが、回を重ねていくうちに小さい子供をもつお母さんが 親子で遊びに来てくれるようになり、幼稚園や小学校の子供たちが お友達をつれて遊びに来てくれたりして、 ちょっとしたお絵かき教室のように賑やかな場になりつつあります。 これは、僕にとってはとても嬉しい誤算でした。 びっくりするほど夢中になってパステルで遊ぶ子供たちの、 なんといきいきとした顔、 あざやかな色彩感覚、 驚くほど豊かな表現力。 絵が楽しさに満ち溢れて、まるで色が踊っているみたいです。 理屈から入っていくしかないような、僕みたいな頭の固い大人には とても表現できない、柔らかな感性に包まれたすばらしい世界があります。 会場では、パステル画の先生みたいな顔している(かもしれない)けど、 子供たちからは本当に大切なことを教わっていると思います。 二月の展示では、6日間パステル教室を開きます。 どんな子供たちに出会えるのか、楽しみでしかたありません。 #
by tetsuyafunakoshi
| 2009-01-18 22:31
| 静かな日々
展示の最終日、
朝の礼拝に遅れて入室した僕に 席を空けてとなりに座らせていただいた女性の聖書は、 表紙の革がボロボロで、 紙も茶けて、 どのページを開いても赤線だらけで、 その女性は、 その深く時間の刻まれた本を大事そうに とても穏やかな姿で、 朝の光に包まれているようでした。 何十年という時間を共にしてきた本は なんと美しいものだろう。 人生に深い喜びを与えてくれるものに出会えることは、 なんと羨ましいことだろう。 その日は、僕にとっての出会いを想ういい一日となりました。 入間川教会では、本当にたくさんの出会いがありました。 僕と、作品達を気持ちよく迎えていただいた教会の皆様と、 僕の絵をコーディネイトしてくれた小川さんと旦那さまに、 深く感謝いたします。 #
by tetsuyafunakoshi
| 2008-12-02 23:49
| 静かな日々
最近、こども達と遊ぶ機会が増えてきました。 真剣になって遊ぶ子ども達にはかなわないですね。 彼らを見ていると、夢中になって遊ぶことの大切さを、 しみじみと感じます。 しみじみなんかしてないで、一緒に遊べるといいんだけど。 入間川教会の子ども達による カリンバ(アフリカの楽器)の三重奏。 なかよし三人組なせいか、不思議と音が気持よく重なってくる。 なかなかすごい。 あんまり真剣にのめり込んで演奏するので、楽器をはなしてくれないのでは ないかとヒヤヒヤでした。 こちらは、国立で行われた手作り楽器のワークショップ。 マラカスやレインスティックなどを一緒につくりました。 #
by tetsuyafunakoshi
| 2008-12-02 23:14
| 静かな日々
そういえば、すこし前に「名前」の表記を
漢字からひらがなに変えました。 これまでは、名刺やホームページなどには漢字で「船越哲也」としていました。 今は、ひらがなで「ふなこしてつや」です。 占いでその方が良いと出たからではありません。 実は、ずっと前からひらがなの名前に変えようかな、と思うところはありました。 その柔らかいイメージは僕の絵に合っていそうだな、という、本当にただイメージだけの 事なのですが。 ひらがなにしてみたら、 少し肩の力が抜けたような気持ちが軽くなったような気がします。 なまえだけではなくて、描く作品や僕自身の生き方も やわらかく、軽やかに表現できるようになりたいものです。 #
by tetsuyafunakoshi
| 2008-11-09 20:46
| 静かな日々
静かな時間を共に過ごせる絵を描きたいと思います。
やわらかな空気を作る絵を描きたいと思います。 穏やかな気持ちになる絵を描きたいと思います。 そんなふうに思う様になったのは、つい最近のこと。 自分の絵の中に静けさや癒しを意識しはじめたのは、つい最近のこと。 以前は、ただ気持ちのいい絵が描けたらと、 できるだけ見る人を意識しないで、 自分の中の深い深いところにあるたくさんの想いを、 絵というかたちにできたらと、 そんなことばかり考えていた様に思います。 生まれた絵が、どう人と向き合っていくのかなんて、 絵を通して、自分がどう人と向き合い関係していくのかなんて、 少しも考えていなかった様に思います。 描く、ということは、 ただ自分と向き合うこと、 そんなふうに考えていたと思います。 いつの間にか、 よほど気持ちが動かなければ描くこともなく、 ただ流れのままに停滞し、 自分の生み出したものたちの声を聞く耳も遠く、 見えないものを見る目はかすみ、 いつか忘れたものたちにも気付かず、 ただ流されるままに沈黙し、 無くしてゆく自分を ただ見ている日々がありました。 やっぱり、苦しかったのだと、 今にして思います。 自分しか見えないというのは、 自分だけしか見ないということは、 とても苦しいものでした。 ある時、しまいこんだ絵を並べて眺めていたら、 すっと、気持ちが楽になるような、 心がいやされてゆくような感覚が降りてきました。 自分の絵が癒し系だと言われてもよくわからなかったのですが、 この時はっきりと、癒されてゆく自分を見たとおもいます。 それは、絵の中にたくさんの思い出と共に、 たくさんの自分を支えてくれた家族や、友達や、絵を見てくれた人達を 感じたからだと思います。 いい作品を作ろうと思うなら、孤独の中に身を置かなくてはならないと 思い込んでいた自分に気づきました。 そんなことを考えていた自分の絵が、 たくさんの人に支えられて生まれてきたものなのだと、 自分はこんなにも幸せな絵描きであったのだと、 並べた絵を眺めながら思ったのでした。 今でも、誰かを癒したいと思って絵を描いているわけではありません。 ただ、静かな時間を共に過ごせる絵になるといいと想いながら、 僕の絵が、 誰かの気持にやさしく寄り添うように、 たいせつな時間、 その人の生活の傍らにある、 あたりまえの絵になることを願っています。 #
by tetsuyafunakoshi
| 2008-11-03 09:59
| 静かな日々
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